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2016年06月13日
第107回世界大会に参加して
第107回世界大会に参加して
会長エレクト 香川美穂子
「今年の世界大会はソウルで開催」と聞き、韓国にはまだ行った事が無いのと、7月から会長を受ける立場から「一度は国際大会を経験してみよう!」と娘と共に参加して来ました。
5月28日(金)第1日目:福岡を経由してソウルの仁川空港へ。宮崎から福岡は1時間足らず、そして福岡から仁川も1時間のフライト。本当に近いお隣の国でした。2泊3日の旅ですが何しろ国際大会もソウルも初めてなので、旅行代理店が現地では車とガイドさんを付けてくれました。これは大成功。安心して移動も出来ましたし、臨機応変な対応が出来助かりました。空港でガイドさんに会い、早速KINTEXという会場に登録に行きました。参加者が3万とも4万とも聞いていましたから「どうなることか?」と心配でしたが意外と登録はスムーズに流れ(登録会場の建物も広大)一安心。会場では現地のスタッフに混ざってオーストラリアのメンバーなどがスタッフとして何かとサポートしてくれ、助かりましたしとても気持ち良く感じました。
一旦ホテルにチェックインして、「2730地区ナイト」の会場である別のホテルへ。申し込みが遅れ「参加はウエイティング」と事務局から聞いてはいましたが、「ご挨拶だけでも」と思い行ってみましたら受付が始まっていて皆さん正装。「なでしこ」の女性会員もたすきがけで張り切っておられました。
野中ガバナーにお目にかかりご挨拶だけして娘と繁華街(明洞)へ。土曜日の夜のせいか人通りは多くその中に屋台が並んで道幅は狭くなり、日本語の上手なビラ配りの女性達が近づいて道を塞ぐので目的地を目指すのがなかなかでした。せっかく韓国に来たのだからと夕食は韓国料理。ネットで検索した「古宮」で石焼ビビンバを注文。なかなか良い味で楽しみました。何より印象的だったのは野菜の量が多いこと。いろんな形で野菜が料理に使われており、韓国料理は栄養学的に大変バランスのとれた食事と感じました。
5月29日(土)2日目:10時15分からと聞いていた開会式が「早く始まるらしい」との情報で8時過ぎにはホテルを出発。高速道路を1時間ほど会場に走りましたが、会場に近づくにつれ道にロータリーの案内看板が目に付き「これだけ沢山の看板を準備なさるのもさぞ大変だっただろう」とホスト国の皆さんに感謝でした。午前の開会式(第1回目)は各国から参加の為8ヶ国語に同時通訳されての進行。会場は民族衣装の人々が三々五々行き交うかと思えば、旅行代理店の旗に従っての団体さんもゾロゾロと移動で見ていて飽きません。
私は障害が有り人波の中を歩く事が不安な為車椅子を借りたのですが(前日に予約)、使ってみるとその車椅子が壊れていて「取り替えてもらおう」とそのデスクまで行くのに人は多いは担当のスタッフは手がたりずにパニック状態。娘が交渉したものの結局車椅子のお世話にはなれず仕舞い。ただ会場は十分な席が準備されており、席確保の苦労はありませんでした。
式は定刻に始まりアルファベット順に国旗入場の折にはその国からのメンバ?が立ち上がったり手を振ったりと参加をアピール。来賓には国連事務総長のバン・キムン氏をはじめ韓国の首相やRI会長の母国スリランカ首相も出席してスピーチされ、ホスト国の力の入れよう又、世界の中でのRIの存在位置等に自分のクラブだけでは感じられなかったスケールや存在意義を感じました。参加者の正確な数字はまだ出ていないようですが4万3000人ほどとか。世界中から集ったこの人々をホスト国は「友愛の広場」でお料理や韓国の武道、歌手でもてなし、人々が和やかに家族的に接する様子はとても心地良いものでした。午後からの第2回目開会式は韓国語で行われましたので、韓国のロータリアンが集われたことでしょう。
午後はホテルまで戻り、近くの聖公会教会や宮殿の見学。丁度衛兵交代の時に行き合わせ民族衣装の衛兵たちの交代シーンを見る事ができました。太鼓や笛の音楽に合わせての行進は汗びっしょりでなかなか大変なアルバイトと見受けました。夜は韓国のオーケストラを台湾の指揮者が振り、日本人ヴァイオリ二ストによるチャイコフスキーの協奏曲とベートーベンの第9「合唱付き」3・4楽章のコンサートが有りましたので聴いて来ました。会場で日本人の姿は全く見られませんでしたが、RI会長のご家族などもお越しになっており、楽しめる良いコンサートでした。ただ帰りのタクシーを拾うのが大変でした。
5月30日(月)3日目:この日から「分科会が開催」とプログラムには書いてありましたが、言葉の問題や滞在日数の問題も有り、興味はあっても実際参加は難しいのでしょう。我々は帰国の便が夕方なので、38度線を見たいと思い案内してもらいました。板門店に行くのは事前の申し込みで許可が必要とのことで叶いませんでしたが、行けるギリギリの第一関門所まで接近し兵隊さんの所でUターンしてきました。そこから先は「2Kmの非武装地帯」とのことですが、昔からその地域に住んでいる人もいるとか。
検問所の手前は一寸した観光地となっており戦争に関わる慰霊碑や爆撃にあった汽車の車両等が展示され日本からのロータリアンも見かけました。その場でやるせなかったのは、統一を願う人々が掲げる沢山の白旗やメッセージの書かれた布。家族を無理やり引き離された人々の心を思うと「日本は分断されなくて良かった。」「日本は幸せな国だ」と思わざるを得ませんでした。
夕方の便で福岡を経由して宮崎に戻りましたが、黄砂の襲来で厚く重苦しいスモッグに塞がれ呼吸するのもこわかった韓国に比べ、「なんと宮崎は平和で安心して息を吸える事か!」と本当に嬉しかったです。この平和で美しい日本そして宮崎を大事に守り、「世界の困っている人々のために何か自分の能力を提供する事が出来ないか」と思う今回の旅でした。
次回はアメリカのアトランタ。「百聞は一見にしかず」の諺通り、何事も「行って見ないとわからない」「経験しないとわからない」ものです。ロータリーと言う扉を開け一歩踏み込んで新しい世界を知る事が、クラブライフを楽しむ大きなポイントと思いました。皆さんチャンスは掴みましょう!
posted by 宮崎中央RC at 13:03|
会員の体験報告
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2013年10月15日
国際ロータリー世界大会 旅行記
2013年 国際ロータリー世界大会 旅行記
宮崎中央RC 鳥山 浩 会員
世界大会は、2013年6月23日から26日までの4日間、ポルトガルのリスボンで行われ、これに参加するため、宮崎中央ロータリークラブから、秦・田島・鳥山・長岡夫妻の8名が7泊9日のツアーを実施した。(関空に前泊、実質8泊10日)
6月22日朝8:20関西空港集合することになっている。そのためには、大阪で一泊しなければならない。予定では6月21日午後3時50分宮崎を出発予定であったが、台風4号が接近していたため出発を早め、朝一便(7:50)で関西空港に向かった。
早くホテルに着いたので、関西空港近くのアウトレットにみんなで見学に行き、それぞれ買い物をして時間を費やした。夜は、ホテルのレストランで和食と日本酒をいただき、これからのことを話題にしながら楽しく過ごした。
22日朝8時、集合場所に行ったらすでに他のツアー客も来ていた。合計で40数名の団体である。搭乗手続きを終え免税店に行き、目的のエルメスの店に直行、お目当てのバッグを探したがなく、次の機会を待つことにした。みんなへのお土産(口紅、ネクタイ)を買った。
KLMアムステルダム行きに搭乗、10:43に離陸、昼・夕の機内食、軽食や飲み物(ビール・ワイン)も出て、22日21:53(現地時間14:53、時差7時間)に着陸した。座席は、エコノミークラス一段アップのプレミアムで、前後の間隔とリクライングが少し違っていた。所要時間11時間10分、ここで乗り継ぎ(17:50発)リスボンへ向かった。
空港で夕食(サンドイッチとサラダ)をもらったが、関空−アムステルダム機内で、お腹が一杯だったので食べなかった。18:30頃(日本時間23日AM1:30)から盛んにあくびが出る。先日AM3:00頃から起き22時間半経っていたので、眠いのも当たり前である。ポルテラ(リスボン)空港に20:55分着陸した。(所要時間約3時間)まだ明るかった。(アムステルダムとの時差1時間)木立が多く、緑が目立った。
バスでホテルに向かったのが20:55(日本との時差8時間、23日4:45)で、まだ明るく、PALACIO ESTORIL HOTEL(五つ星)に着いた21:20頃やっと薄暗くなっていた。
ガイドの話しによると、国際ロータリー世界大会が開催され、多くのロータリアンが集まるので、ヨーロッパ中のスリが大挙してリスボン・近隣の観光地に来ている。財布・パスポート等貴重品に十分気を付けて下さいと注意があった。余談:ガイドの話、スリで逮捕されても刑務所が一杯なので、執行猶予ですぐに釈放されるとのこと。
ホテルについてすぐにバスで汗を流し、ベッドに入ったが、なかなか眠れなかった。これが時差ぼけなのだろう。部屋のクーラーが効きすぎOFFにした。それ以来ONにしたことはなかった。
23日朝、リスボン市内観光、世界遺産ベレンの塔(テージョ川の河口付近に16世紀初頭につくられた、石造りの四角い塔。
元は出入りの船を監視する要塞)・世界遺産ジェロニモス修道院(マヌエル1世がエンリケ航海王子の偉業を讃えるとともに、バスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して16世紀初頭に建てたもの)・発見のモニュメント(1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた。大航海時代を記念した記念碑、バスコ・ダ・ガマ、マゼラン、フランシスコ・ザビエル等の像があった)を見学した。
「七つの丘の都」と言われるくらいリスボンは坂が多く、短いケーブルカーが各所にあり、これに乗った。
(昼食はエドゥアルド7世公園(ポルトガルで一番大きな国旗が掲げられていた)横のレストランでポルトガル料理、それから国際ロータリー世界大会会場に行った。駐車場から会場まで15分程かかり、会場の入口に 「104th Rotary INTERNATIONL CONVENTION」の看板が立っていた。
友愛の家で、田島さんと買い物(ネクタイ等)をして15時(開会は16時より)に会場に入り、前列から13列目が空いていたので、8名の座席を確保した。すべて英語で話すので、私には理解できなかった。
しかし、田中作次会長の時には、田中会長一家全員(孫まで)が舞台にあがり、会長のスピーチの時は、みんなに合わせ拍手やスタンディングオベーションを行った。(参加者はタイの時より少なく、約2万人?)
式典後の余興で、人気ボーカルグループ「イル・ティーヴォ」(スイス出身のウルス・プーラー:テノール、スペイン出身のカルロス・マリン:バリトン、ポップ音楽を歌うフランス出身のセバスチャン・イザンバール、米国出身のデイビット・ミラー:テノールの4人、アルバムの売り上げ総数は2600万枚、ゴールデンディスクやプラチナディスクの数は160に上り、これまでに200万枚のコンサートチケットを売り上げている)
の4人組の男性が歌い、大変素晴らしい歌とハーモニーだった。田島夫人の話によると日本での公演でチケットがなかなか取れないほどの人気だったそうだ。
23日夕食は、ホテルのレストランでフルコース、飲み物はビールとワインで、日本を出発して、飛行機の食事・飲み物、アムステルダム空港でのことや式典等のことが話題して楽しく過ごした。
24日朝、早く目が覚め、ホテル付近を散歩した。近くにカジノ(15:00〜3:00営業)があり、道路を横切り鉄道の下の隧道を抜けると海岸に出て歩いたが、前日の休日、ビーチで過ごした客の\ゴミ処理のため、朝早くから作業員が後片付けをしていた。歩き始めた頃は、肌寒(気温約18℃)かったが、日中は30℃を超す暑さ、しかし、湿度が低いので日陰に入ると涼しく感じた。
24日の観光は、シントラ宮殿(少なくとも15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮である。シントラの文化的景観の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている)とロカ岬(ユーラシア大陸最西端の岬、RCの記念碑が建っていた)を見学した。
リスボン近郊の観光地はどこもロータリアン(歳をとった方が多かった)ばかりで、世界各国から来ているとみえて、民族衣装(アフリカ地区)が目立った。
この日夜は、ファド・ディナーショーを楽しんだ。(ファドは1820年頃生まれたと言われている、ポルトガルの民族歌謡)舞台は、暗く狭まかった。客席も窮屈だった。期待したほどではなかった。
25日朝、スペイン・首都マドリードへ移動のため空港へ行く。その途中、日本でも見られる塀や建物の壁に落書きが目立った。到着後、マドリード市内観光、スペイン広場にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサの像の前で記念写真を撮る。アジュダ王宮殿(現在、王は住んでなく、公式の行事の時に使用している)を外部から見学、プラド美術館(世界で最も有名な美術館のひとつです。ゴヤ、ベラスケス、エル・ グレコの作品が展示)で絵画を鑑賞し、日本人が経営するお土産品店で、少々のブランド物を買った。
スペインでは普通、昼食は13:00〜16:00まで、夕食は20:00〜22:00までとのこと。(余談:商売をしているところ(デパート等)の昼食は交代制をとっているので、今はいつでも対応している。とガイドが話していた)この日の飛行機移動でキャリーバックの足が壊れたので、ホテル隣のデパートで同じ型を購入(198ユーロー)した。
夕食は、フラメンコとスペイン料理を楽しんだ。フラメンコを最後に踊るのは男性だそうで、
そのことを聴いて驚いた。(フラメンコは女性の踊りと思っていた)やはり、男性の踊りの方が激しく迫力があると感じた。
26日朝5時半頃から散歩した。ホームレスがビルの入り口に寝ているところをたびたび見かけた。
スペインは不景気なので、どこも一緒だと感じた。散歩する人、犬を連れた人、ジョキングしている人も少なかった。街が汚く、ゴミが散乱していた。ここでも日本同様、空き店舗や壁にあの独特な字体で落書きがしてあった。
6時20分頃から明るくなるが、この時間、別れを惜しむ若い二人がハグをしてなかなか離れなかった。この日の日没は、22:10頃であった。
26日は、世界遺産トレドのみを見学。(トレドはマドリードから南へ70キロのところにあるスペインの古都。1986年、トレド大聖堂など旧市街全域が歴史地区として、ユネスコの世界遺文化遺産に登録。街全体が中世そのままの姿で保存されているうえ、新しい建物も周囲の環境に調和するよう工夫がなれている)
この日の昼食に、久しぶりにステーキがでたが、宮崎の牛をいつも食しているので、こちらの
牛肉は食べられなかった。ミネラルウォーターとワイン・ビールは同じ値段2ユーロー、ジュースも同じであった。(水道水は直接飲んでもいいということだったので、ホテルでは水道水を飲んだ)
27日朝、我々8人と他の地区のロータリアン5名(海南RC田村元会長、元女性幹事と夫、岸和田の夫人、長崎の浜中元ガバナー補佐)ガイドの計14名で、新幹線でバルセロナ移動のために向かった。駅で待ち時間があったので、一等専用の待合室で軽食(クッキー類、コーヒー、ジュース等の飲み物)をとり過ごした。
新幹線は時速300q、所要時間3時間10分で、12:40にバルセロナ駅に着いた。乗車後すぐに食事が出たが食べられなかった。
飲み物はジンとトニックウォーターを頼み、ジントニックにして飲んだ。バルセロナ駅前には、多くのタクシー(黒塗りでドアーが黄色で統一)が多く駐車していた。すぐに昼食会場に行き、料理を少々つまみワインを飲んだ。
それから市内観光で世界遺産のカサ・ミラ(アントニ・ガウディ氏の設計:世界遺産カサ・ミラは直線部分をまったくもたない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的な建物である。
あたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは、隔絶した建築となっている)を車窓から見る。ユネスコ世界遺産グエル公園(この公園は、繊維で金儲けしたグエル氏がガウディに設計依頼し分譲するために開発した土地、2軒しか売れず公園となる)を散策した。ガウディの建物は変わっている。私も建築に携わっているが、考えられないものであった。
次に行ったのが、サグラダ・ファミリア(民間カトリック団体「サン・ホセ協会」所有)である。
設計者ガウディが31歳から取り組み実際に目にした塔は、最初に完成した1本のみ。現在は8本がほぼ完成している。百年以上前から建設が開始された教会が完成するのは、あと百年、いや二百年かかるとも言われていたが、拝観料や企業・信者からの寄付が予想以上に集まり、ガウディ氏没後の2026年には完成するとガイドは言っていた)
地震がないので最初の頃は石積みでできているが、現在は鉄筋コンクリートで建築中である。彫刻は、日本人の外尾悦郎氏(主任彫刻家)がガウディ氏の遺志を受け継いで担当している。
この日の夕食は、1992年に行われたオリンピック選手村近くのシーサイド・シーフードレストランであった。この時、長岡氏が突然、このテーブルは少し傾いているのではないかと質問され、返答に困り「そうですね、そう言われればそうようにも感じますね」と話しを合わせていた。長岡氏はこのとき、アルコール類は飲まず、食事もあまり食べなかったように思われた。
後日談:帰国後、早速医者にかかったら網膜剥離を起こしていたようで、宮崎大学医学部において手術をした。(7月8日奥さんの談)
28日朝、5時半頃から散歩する。街のあちこちに若者(高校生か大学生)がたむろしていた。(ガイドの話では、学校の夏休み3ヶ月、大人は1ヶ月。大人は働くな。子供は勉強するな。ただし、小学校から落第制度があるらしい)
酔っぱらいもいた、若いアベックが街灯の薄暗い寂しいところでハグしていた。街には、各所に無人のレンタルサイクルがあり、朝早くから利用している人がいた。ジョギングやウォーキング、犬の散歩している人がリスボンより多かった。
朝の気温は、リスボンより高かったが、汗ばむことはなかった。日中の温度も高く、湿度があり少々汗ばんだ。この日の最高気温は35℃で、時には50℃近くになることもあるそうです。
28日の観光は、郊外のモンセラートでムンサラート山(別名のこぎり山、海底の岩石が隆起してできた山)の中腹にあるサンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂の「黒いマリア像」を見学した。
早かったので、そんなに並ばなくてよかったが、見学し終わったころは長い列だった。
昼食は、昨日のシーサイド近くのレストランで軽くチキンとスパゲティを食べ、ワインを飲んだ。15時頃、街の中心地で自由行動となり、それぞれが別行動し、目当ての買い物を探した。私たちは目当てのエルメス店に行ったが、入るのを断られた。なぜかと思ったら、数人のお客様が入っているので入場制限であった。日本では考えられない光景であり、中に入ってバッグのことを聴いてみたら、陳列してある1個のみで、ショウウインドウに飾ってあるバックも在庫がなかった。何と中身の乏しいお店で、これも不景気で購買力がないせいかもしれない。
お目当ての品物がなかったのでadidasの店に寄り、奥さんのヨガウェアーを購入するためレジに並んでいたら、すぐ前の若いカップルが、突然イチャイチャとキスをし始めた。こういうことは外国では当たり前だろうか。
何としても孫娘の買い物をするため、15分くらい歩いてデパートに行った。何がよいかと思案しながらキッズ売り場を見ていたら、歩くたびに靴が光るスニーカーを見つけ、これを購入し、タクシーでホテルまで帰り、夕食が20:30なのでそれまで部屋でバスに入り、明日帰国のために荷物を整理するなどゆっくり過ごした。
秦・長岡夫婦は、ピカソ美術館の見学に行かれた。(ピカソ美術館:バブロ・ピカソの友人で秘書を務めたジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ作品を基礎に1963年に開館、のちに画家本人やその家族・友人からの寄贈を受け、さらにコレクションを拡大した。ピカソの幼少期から「青の時代」の作品群)
最後の夕食は、MELIA HOTEL BARCELONAのレストランだった。オープンが20:30である。
他に誰も居なかった。今までは、我々のグループだけで食事をしていたが、男女のグループに別れ、別々に食事と会話、そして、ワイン(赤・白)を楽しんだ。
29日午前2時に目が覚め起きた。8時ホテルを出発、空港へ行く。搭乗手続きを済ませ、免税店に買い物に行くが目的のエルメスのバックは見あたらず、今回買うのを諦めた。
11:25離陸、上空から眼下を見ると、農地(住宅を含む)と一般住居地域とはっきり区別されている。山には残雪があった。12:00に機内食が出て13:20に到着した。アムステルダムで乗り継ぎに1時間ほどあったが、移動でほとんど時間を費やした。身体検査でブザーが鳴ったが、何も該当する物がなかった。
飛行機の中は寒く、ジャンパーを羽織った。隣にいた若い日本女性(イギリスに短期留学)は半袖のブラウスで寒がっていたので、私の膝掛け用毛布を与えたら、感謝された。
時差ボケを考え、無理して眠ろうとしたがなかなか眠れなかった。隣の長岡氏はアイマスクを
して眠っていたようで旅慣れしていると実感した。
機中、食事でワインを飲み、軽食でアイスクリームを食べ、そして朝食を、空いた時間は座席前のテレビで映画を見て、帰る時の方が結構時間の経つのが早かった感じがした。
関西空港着30日8:30分、所要時間10時間40分。消費税の還付をもらうため、窓口に行った。前に並んでいた人が、係官に盛んに質問していた。内容は、出国前に税関の証明印をもらわなかったようで、到着してから申請すればよいと言われたと話していた。
参考:この場合3ヶ月以内にもう一度当地に行き、現物を持参して証明をもらわねばならない。と係官が話していた。
リムジンバス10:40発で伊丹空港へ向かう。大阪のお土産のたこ焼き・お好み焼きを買い、11:55発で宮崎空港へ飛び立ち、12:55に着陸し、8人全員、旅行期間中、病気・けがなく無事に過ごすことができた。
今回の10日間の旅行は、以前の旅行に比べ大変疲れた。次回は一週間の日程がよいと思った。
宮崎中央ロータリークラブ
posted by 宮崎中央RC at 10:35|
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宮崎中央ロータリークラブ事務局
TEL:0985-22-6767
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e-mail info@miyazaki-chuorc.jp
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